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1950年代、渡仏前の加藤一。
競輪競技者としてのキャリアを引退した後も、初の日仏自転車対抗競技を日本で開催したり、日本の競輪競技チームを世界選手権に参加させる等の、ケーリン国際化に貢献する仕事を続行した。
一方で、小さい時から描かずにはいられなかった大好きな絵の道は、画家としての第二の人生の、ゴールの存在しない勝負の道となった。 |
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1958年 |
パリに渡り、ここに定着して画家としての道を踏み出す。
独自の画風を作り出そうと様々な試みに没頭する。
油彩の厚塗りがマチエールの時代。 |
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1959年 |
パリに着いて10ヶ月目に初めて油彩4点が売れる。(買い手はジャック・バゼーヌ氏)
同氏が以後有力な後援者となる。 |
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1960年 |
最初の個展をパリ市セーヌ左岸のダンカン画廊で開く。 |
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1966年 |
パリ・クルーズ画廊で個展。
フランク・エルガール氏等の美術批評家の絶賛を得る。 |
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1967年 |
日本においても、1964年いとう画廊での個展に引き続き、第2回目の個展を大阪フォルム画廊で開催。
同年、本格的なアトリエを入手し、大作の制作に取り組む。 |